IMPACTISM “OUR FUTURE” は慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート (KGRI) による2040独立自尊プロジェクトによって生まれた、学生による番組です。2040年には未だ人類が経験したことがない超高齢社会が到来し、私たちの生活はもとより、国の基盤も揺るがすような危機に直面すると考えられています。この「2040年問題」に対して、大学での学びが将来どこに結びつくのか、未来を担う学生の目線で今とこれからを発信していきます。
IMPACTISM “OUR FUTURE” #2-7: 「自分とは何か」という問いへの手引き
Season2 第7回では、学部2年生の後藤ひなたさんが、”自分とは何か”という問いをテーマにお話しします。
「自分とは何か」という、恐らく誰もが生きていくなかで一度は考えるであろう問い。自身の心の揺らぎや自分という存在への戸惑いについて語りながら、彼女が参考にしてきた書籍についてご紹介します。「自分とは何か」という問いへのヒントが得られるかもしれません。
時事トピックスは、”メンタルヘルス”についてです。もし身近な人が悩んでいたら、私たちには何ができるのでしょうか。逆に、自分の悩みを他人に話しにくいと感じるのは、どうしてなのでしょうか。誰もが心の健康を達成できるような社会のあり方を考える端緒とします。
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以下全文
慶應義塾大学KGRIのプロジェクトで活動している私たち学生によるポッドキャスト。2040年という未来までに日々大学で学んでいる私たち学生に何ができるかを話していく番組です。
学問はどのように変化していき、そして今学んでいることはどこに辿り着くのか。時事のニュースや話題を、共に語っていきたいと思います。
「自分とは何か」という問いにぶち当たったことはありませんか。周りの人と自分を比較し、自信を失った時。自分を見失いそうになった時。私はこれまで何回か自分という存在、そしてその存在意義について考えたことがあります。自分の将来について迷ったり、不安に感じた時に、「自分ってなんだろう」、「何のために生きているのだろう」という問いに行き着き、答えの出ない問いに鬱々としてきました。今回の配信では、私自身がそのような気持ちを抱えていた時に出会った考え方についてお話ししたいと思います。
私はずっと、自分を定義できるものがほしいと思ってきました。自分を定義できるものというのは、分かりやすく言うなら誰にも負けない強みのようなものです。「自分にはこれしかない」「自分はこういう人間である」といったものがあれば、自分の進むべき道に迷うことなく、その道に確信を持って進めるのではないかと思っていたからです。そして、何かに秀でている人に出会うたびに、「どうして私は一つのことに打ち込めないのだろう」「私にも才能があればいいのにな」などと羨ましく感じていました。抜きん出た強みを持っている人は活躍していたり、自分の決めた目標に向かって突き進んでいたりと輝いている印象を持っていたからです。一方の私は、これまでにコロコロと取り組むことが変わってきたため、余計にそう感じました。さらに、大学生は就職活動もありますし自分の将来についてより一層意識させられる年齢であることも関係していると思います。そうして自分自身の内面と対峙し、私が人に褒められたことのあるものは何だろう、私が好きなものはなんだろう、などと自己分析を始めるわけですが、自分にとってはどれも中途半端で、結局将来についての不安を取り除くことはできませんでした。考えれば考えるほど、自分の内面を探れば探るほど何も出て来ず、悲しくなりました。
そのような時に出会ったのが、鷲田清一さんの著者である『じぶん・この不思議な存在』です。本の中にこのような一節があります。「わたしたちはじぶんを問う。問うてじぶんのなかをのぞく。が、そこになにか<わたし>だけにしかないものを見つける可能性は、絶望的なまでにすくない」。
自分の内面を探っても「自分とは何か」という問いに対する答えが出てこないのは、私が中身の薄い人間だからだと思っていました。しかし、この一節によって、定義できない自分でも良いのかもしれないと思えるようになり、気持ちが少し軽くなりました。
鷲田さんは、人間の言動が他人の模倣によってできていることを踏まえ、自分という存在は、社会の中に置かれて、あるいは対人関係の中で作られるのではないかという考えを述べています。私は、自分自身のことは自分で分かるはず、定義できるはずだと思い込んでいました。しかし、それを求めて自分の内側を探ったところで分かり得ないことを考えると、実際にはそうでもないのかもしれません。
私には「自分とは何か」という問いの他に、高校時代から疑問に思っていたことがありました。それは、「本当の自分はどれだろう」というものでした。私は、家族といる時の自分、親友といる時の自分、クラスメイトといる時の自分、など接する人や置かれた環境によって自分自身の振る舞い方や話し方が変わります。より適切に言うなら、無意識のうちに変わっています。その事実に気づいた時、「誰といる時の自分が本当の自分なのだろう」「何をしている時の自分が本当の自分なのだろう」という疑問が生まれました。「本当の自分」というものが存在し、どこかでは偽りの自分を演じているのではないかと思いました。自分自身では良く見せようという意識はないのですが、猫を被るという言葉もありますし、虚しさを感じました。
そのような考え方を一掃してくれるのが、今回紹介したいもう一つの本です。平野啓一郎さんの著書である『私とは何か』です。この中では「分人主義」という思想について説明されています。分人主義というのは、誰しも人間は分割可能な「分人」の集合によってできているとする考え方です。これは、人間は分割不可能な「個人」であるという従来の考え方に対峙するものです。平野さんは著書の中で、「分人はすべて、『本当の自分』である」と言います。
この「分人」という考え方に出会った時、私は2つの意味で安心しました。1つ目は、接する人に応じて振る舞い方を変えているのは私だけではないのだということ。そして2つ目は、そうした振る舞いはいたって自然であるということです。
先にも述べたように、人間は誰もが、人と人との関係の中で生きていて、自分1人だけでは「自分とは何か」を定義できません。親にとっての自分は、娘という存在。友人にとっての自分は、友人という存在。先輩といる時の自分は、後輩という存在。当たり前のことですが、これらの集合体が結局のところ自分であるという考え方です。そして、ある存在としての自分の性格が、別の存在としての自分と異なる性格だとしても、全くおかしくないということなのです。確かに、親といる時の自分は娘らしく振る舞っていますし、友人といる時の自分はその友人に合わせた振る舞いをします。先輩といる時は後輩らしく振る舞いますよね。私はこの考えに出会った時、「どれが本当の自分なのだろう」という問いに対するある意味での逃げ道を得ました。そして、「私とはこのような人間である」と一言で言える必要もないのだと気づきました。
私は、大学生になってこのような哲学的な本を読む機会が増えました。恐らくそれは、自分の心の内にあるもやもやを、なんとかして言語化したいという衝動にかられるからだと思います。自分の中にある語彙ではうまく言語化できない時に、自分の気持ちを代弁してくれる言葉を探して、本を読んでいるのだと思います。今後皆さんが思い悩んだ時、今回ご紹介した考え方が、何かの手助けになると嬉しいです。
「自分とは何か」という問いを考えること自体、あまり意味のないことだと思う方もいるかもしれません。答えのない問いですし、考えれば考えるだけ分からなくなってしまいます。
しかし、私にとってこの問いは自分の人生を考える上で必要なものです。そして、大学生という、将来について完全には定まっていない時期だからこそ考える意味のある問いだと思うのです。実際、私も「自分とは何か」という問いに対する明確な答えは出ていませんし、考え続けています。今回の配信をきっかけに考えてくださる方がいたらいいなと思います。
今日の気になるトピックス
今回取り上げるトピックスは、「メンタルヘルス」です。SDGsの3番目の目標は「すベての人に健康と福祉を」ですが、目標3のターゲットの中に「2030年までに、非感染性疾患による早期死亡率を予防や治療により3分の1減らし、心の健康と福祉を推進する。」というものがあります。非感染性疾患とは、WHO(世界保健機関)の定義によると、「不健康な食事や運動不足、喫煙、過度の飲酒、大気汚染などにより引き起こされる、がん・糖尿病・循環器疾患・呼吸器疾患・メンタルヘルスをはじめとする慢性疾患をまとめて総称したものです。すなわち、このターゲットの中では非感染性疾患という言葉に加え、「心の健康」という言葉をさらに用いてメンタルヘルスについて言及しているのです。それほど、メンタルヘルスは世界的に早急に取り組むべき課題なのです。女子テニスの大坂なおみ選手が、うつ病であることを公表し、2021年の全仏オープンを途中棄権したことが記憶に新しい方もいるのではないでしょうか。
日本でも特に若者による自殺が後をたちません。厚生労働省の報告によると、令和3年時点で日本における10歳〜39歳の死因の1位は自殺です。そして、若者の死因の1位が自殺である国はG7の中で日本だけです。「生きづらさ」という言葉も近年よく聞かれるようになりました。
私は、メンタルヘルスへの関心から、大学にて精神分析医の藤田博史先生による講義を履修しています。講義では、毎回特定の精神疾患に関して、精神分析的なアプローチで先生が語ってくださいます。フランスの精神分析家であるジャック・ラカンの思考法であったり、藤田先生が実際に患者さんを診察したご経験に基づくお話しをしてくださいます。詳しい内容は割愛しますが、講義の中で自殺について精神分析的に説明してくださったことがありました。私は先生に、このような相談をしました。「身近な人が苦しんでいるときに、精神分析的な考えにもとづいて私にできることは何でしょうか」と。すると先生は、「あなたが本当にその人のことを想っているのなら、精神分析的に、学問的にどうすべきかというのではなく、話を聞いてあげることが一番だ」とおっしゃっていました。何があってもあなたの側にいるよ、いつでも話を聞くよと伝えるだけでいいのだそうです。
確かに、思い詰める前に誰かに話すことができれば、吐き出すことができれば、社会の現状は変わるかもしれません。しかし、自分のネガティブな気持ちについて話しにくい風潮があるのも事実です。内容が重すぎて話してはいけないのではないかという気持ちになったり、相手の気持ちまで沈めてしまうのではないかと思ったりして、どんなに仲の良い人でも話せないという方もいると聞きます。
一方で、匿名だからこそ言いやすいこともあるのかもしれません。TwitterやYouTubeのコメント欄に自分の悩みについての書き込みを見かけることもあります。また、NHKの「自殺と向き合う」というウェブページには「生きづらさ」についての書き込みが集まっています。
誰しも、他人には言えない悩みを抱えることがあると思います。そして、苦しみや悲しみについて話すことは非常に勇気を伴うことです。優しい人であればあるほど、相手に迷惑をかけてはいけないのではないか、相手を困らせてしまうのではないかという気持ちになり、話すことを躊躇ってしまう。
いつか、苦しみや悲しみについて口にすることが、嬉しかったことや楽しかったことについて誰かに話すことと同じくらい自然なことになってほしいと思います。
私個人としては、他人の気持ちを受け止められるだけの器やスペースを自分の中に常に残しておけるようにしていきたいです。そして、悩みを打ち明けられた際には、相手の話を最後まで聞き、無理に共感することなく真っ直ぐに受け止められる人でありたいと考えています。
助けを必要としている人が助けを求めやすい社会が2040年にできていたらいいですし、これから社会に出る者として、「心の健康」という言葉が不要になるくらいに人々が心身共に健康な社会を作っていきたいです。
今回の配信はいかがでしたか。
日々の出来事の疑問、社会、経済、文化、環境、国際的なトピックを若者独自の目線で、リスナーの皆さんと共に考え作っていく番組です。時代と共に変化していく学びについて、少しでも興味を持って頂けたら嬉しいです。次回も楽しみにしていてください。
以上、慶應義塾大学商学部2年の後藤ひなたがお送りいたしました。