みなさんは、「デジタル主権」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
GAFAをはじめとする巨大デジタルプラットフォームが人々の情報を手に入れ、国家に近い強大な力を持つようになった時代。そのような状況に危機感を抱き、「デジタル主権」は近年ヨーロッパを中心として活発に議論されています。憲法や法律を専門に学ぶ人だけではなく、民主主義の国に住む私たちにとって深く関係する問題です。
今回は、フランスのコートダジュール大学で憲法学の教授を務め、「デジタル主権」について深い知見を持つポリーヌ・トゥルク先生に、慶應義塾大学の学生2人が取材しました。
学生2人は、2022年3月3日にオンライン上で開催されたKGRIの公開セミナー「デジタル主権とは何か — 接触確認アプリから考える」を聴講し、「デジタル主権」という概念に関心を持ちました。そこで、「デジタル主権」の考えや重要性、また身近さを、分野に関わらず多くの人に知ってもらう機会を作りたいと考え、今回の取材を企画しました。
「デジタル主権」とは何か? その重要性、そして現在のウクライナ情勢をめぐる巨大プラットフォームの動きに至るまで、インタビューの模様を前編/後編の2本に分けてお届けします。(前編)
後編(深掘り編)はこちら
記事制作スタッフ
インタビュー&前編執筆:加藤容子(慶應義塾大学法学部法律学科3年生)
インタビュー&後編執筆:門谷春輝(慶應義塾大学大学院法学研究科 前期博士課程)
監修:河嶋春菜(KGRI特任准教授)
編集:深沢慶太(編集者)
実施日/実施場所
2022年6月9日 オンラインにて実施
※所属・職位は2022年9月時点のものです。
ポリーヌ・トゥルク(Pauline Türk )
フランス・コートダジュール大学教授。博士論文「国会常務委員会と第5共和政における国会の刷新」でリール大学より博士号 (公法学)を取得、 2004年に元老院論文賞を受賞。リール大学助教などを経て、16年より現職。近年の研究成果として『デジタル主権:概念と課題』( Mare & Martin 、 2017 年)を出版。専門は憲法、議会法、情報法。
加藤容子(かとう・ようこ)
慶應義塾大学法学部法律学科3年生。2001年、札幌市生まれ。山本龍彦研究会所属。現在は研究会で憲法を中心に勉強中。サークルは塾生新聞会に所属。KGRIや研究会における国際的な活動に関心がある。2022年よりIMPACTISMに参加。
門谷春輝(かどたに・はるき)
慶應義塾大学大学院法学研究科 前期博士課程。2000年、埼玉県生まれ。アメリカ・ノートルダム大学への留学(米日カウンシル奨学生)を経て22年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。現在は山本龍彦教授のもとで憲法学を専攻。KGRIでは「プラットフォームと『2040年問題』」プロジェクトメンバーとして研究に参加している。
「主権」とは何か?
「デジタル主権」について考える前に、「デジタル主権」の「主権」とは何でしょうか?
主権にはいくつかの意味がありますが、「デジタル主権」との関係では、①外に対する国家権力の独立性(国家の独立性)と、②国の政治のあり方の最終的な決定権、という2つの意味での主権が重要です。憲法では、国民にこそ②の意味での主権があるとする「国民主権」について多く議論されてきました。一方、「デジタル主権」は、主に①の意味で主権という用語を使っているようです。
以上のことを踏まえて、前編では、「デジタル主権」の基本的な概念やその背景、そして私たちの生活との関係性など、身近なテーマを中心に紹介していきます。
加藤:自己紹介をお願いします。
トゥルク:公法学(憲法や行政法)の教授で、専門は憲法学です。フランスのコートダジュール大学で公法学部門の長を務めており、フランス全土の大学の評議会で評議員を務めています。
今回のインタビューを受けるにあたって面白いと思った点は5つあります。
1つ目は、デジタル主権と、人権との関係について。2つ目は、デジタルプラットフォーム(DPF)の法における位置付けについてです。3つ目は、民主主義ないし、ネットワーク空間における「市民」とは何かという点。4つ目は、DPFにおいて市民がどのような権利を持っていくのかという新しい人権論に関わる部分です。そして、5つ目はネットワーク空間において「市民」というものがどのように生じてくるのかという点です。
これら5つの点がフランスの憲法学者に議論されている部分で、私自身も興味があるテーマです。
「デジタル主権」の概要
加藤:簡潔に「デジタル主権」とは何か、その定義と背景、そして近年の状況について教えてください。
トゥルク:総論的定義を行った後に、少し深掘りした内容のお答えをします。
まず、「デジタル主権」とは、2000年代に生まれた新しい概念です。特に国際法分野で2000年代に主張されたことが契機となり、フランスで「デジタル主権」に対する関心が生まれました。
「デジタル主権」の概念が関心を得た背景の1つに、中国などの専制主義の国において、人々がネットワーク上で自身の情報をコントロールする力を失ってしまうのではないかという懸念が生じたことが挙げられます。
2つ目のきっかけは、アメリカ政府機関が秘密裏に個人情報を収集していたことを元関係者が暴露した、いわゆる「スノーデン事件」です。この事件を通して専制主義以外の国、例えばブラジルやEUにおいてもデジタル主権の重要性が認識されることになりました。
現在は、誰がネットワーク上で市民の権利を守り、コントロールするのかが問題となっています。
法的アプローチと異なる、2つ目のアプローチは経済的アプローチです。現状、DPFは経済を支配し、競争力を持ち、自分たちで経済的ルールを作っている状況です。その意味でDPFは経済的な主権を持っているといえるでしょう。
加藤:なぜ「デジタル主権」という概念は重要だと考えますか?
トゥルク:それは、「デジタル主権」という概念が私たちの生き方、民主主義の機能のあり方を規定するからです。「デジタル主権」は民主主義だけではなく、自己決定権や表現の自由に関する問題も含んでいます。
さらに、国際関係、国と国との関係、用いられる言語、経済的側面などについても問題をはらんでいます。誰が情報を管理するのか、正当性の有無、その責任の所在などが不明確なのです。
DPFが経済を決定するという現在の状況では、透明性が担保されていません。従って、国や市民が、自分たちの日常生活がどのように規定されているのかわからない状況に陥ってしまいます。このように、これまでの主権や民主主義のあり方を根本から覆してしまうような可能性があるため、「デジタル主権」の考え方が重要だと思います。
「デジタル主権」と私たちの生活
加藤:「デジタル主権」という概念は、一般市民にとってどのように関係するのでしょうか? 具体的な例を挙げて説明してください。
トゥルク:例えば、私は数多くの写真をクラウドに載せていますが、10年後にこの写真がどうなるのかわかりません。10年後、またこの写真を自分の手元に戻すことができるのか、それともDPFが他の人に売ってしまうのか、あるいは、消してしまうのか、といったことがまったくわかりません。
より機密性の高いデータについての例も挙げられるでしょう。例えば、自分に精神的な問題があって病院に行ったとき、その診療情報がクラウドに保存される場合、データはどのように取り扱われるのでしょうか? 病院が国立病院であれば、国が自由に使うことができるのでしょうか? それとも情報は保護されるのでしょうか?
あるいは、そのデータを保存しているクラウドを作っているDPFが自由に使うことができるのでしょうか? 仮に国がルールを定めているとしても、それがどの程度尊重されるのかといったことも不明です。
3つ目の例は、SNSのアカウントのバン(ban/アカウントの利用停止措置)の例です。問題は、誰がアカウントのバンの是非を決めているのかが不明な点にあります。DPFが決めたアルゴリズムや選任した少数の集団が、私たちの表現の自由のあり方を決めてしまうという重要な問題があるのです。フィジカルな空間においては、私たちは選挙を通じて自分たちで、誰が自分たち自身を統治するのかを決めることができます。しかしネットワーク空間では、私たちにその決定権がありません。
フランスでの受け取られ方
加藤:「デジタル主権」はフランスではどのように受け取られているのでしょうか? フランスでの受け取られ方は他の国とは異なると思いますか?
トゥルク:フランスで「デジタル主権」は他国とまったく異なる様子で受け取られていると思います。フランスは、プライバシーにとても重きを置く国です。そのため、自由の保護や尊厳を守るということと、経済的な利益が相反する場合、フランスでは基本的に、原理原則に立ち戻り自由の保護を優先します。そのような考え方の是非については議論の余地があるとは思います。
加えて、フランスでは国民主権(民主主義)に対するこだわりも非常に強いです。そのため、フランス国民は自分たちでルールを決めるということに重要性を置いており、実現のためにはいかなる犠牲も払うといえるでしょう。人々を規制する方向のルールも数多くありますが、国民が自分たちでルールを決めることが前提ですので、それらも民主主義の下で自ら作り出しているのです。
他の国々との「デジタル主権」の受け取られ方の違いについては、違う部分もあれば同じ部分もあるといえます。フランスはEUに加盟しているという点では、他のEU加盟国26カ国と考えを共有しています。一方で、フランスには自由を守るという理念があるのに対して、中国やロシアといった国々は、ネットワーク空間において、自分たちの国民に対して国家の主権を守るという考えがあるように見られるため、そのような点では考えが異なるでしょう。
前編のおわりに
前編の記事では、デジタル主権の概念を確認するとともに、それが実社会においてどのように影響するのか、トゥルク先生に具体的な例を挙げてもらいながら、確認しました。
SNSのアカウントのバンの話は、SNSを常用する人にとってはもちろん、2020年アメリカ大統領選において、トランプ前大統領のTwitterアカウントが停止されたことが大々的に報じられたことから、記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。
日々の生活の中で、サービスを受けるためにDPFに個人情報を提供することは、現代では珍しいことではありません。しかし、DPFに個人情報を預けるということは、自身の情報がどのように利用されるのか不透明であるという、個人的なレベルの危険から、民主主義の基底を揺るがす国家的なレベルの危険まで含むということを意識する必要があります。
加速するデジタル社会の中では、情報提供からもたらされる便利さの先にある問題について意識を向けながら、私たちも「自分たちでルールを決める」という意識をより一層強く持ち、ネットワーク空間と向き合うことが求められるのかもしれません。
後編では、デジタル主権を中心に、デジタル空間をめぐる諸問題についてより深く、専門的にお話をうかがいます。